嵐の日々
お久しぶりだにゃ。
世界が新型コロナで大騒ぎになって1年半。
ライフスタイルが大きく変わったにゃ。
我が家では、同居人二人が、家にいることが
断然増えた。
1人は撫で担当、ひとりはごはんトイレ担当。
おいらにとっては、世話係が増えて嬉しいことなり。
今年もGWは、ステイホームが叫ばれ、ただ去年程の危機感はなく。
コロナ慣れ、してきてる。
そして感染者は増えたり減ったりしながら、ワクチン接種が始まり、東京オリンピックは無観客で開催するらしい。
人間は、大変だ。
生きること、死ぬこと、いろんな感情に左右されて毎日右往左往する。
人生はままならない。
過去を悔やみ、未来を不安に思い、今に不満を抱く。
ホモサピエンスは、意識の中に虚構を生み出し、虚構を共有する生き物らしい。
時間と言う概念。妄想する人々。
ああだったら、こうだったら・・・
様々な因果論を展開する。
様々なルールをつくる。
自分がつくルール、他人がつくるルール、社会がつくるルール、
そして物理法則という宇宙自然がつくるルールに左右される。
そして、そのルールは、新しい発見や環境の変化によってコロコロ変わってしまったりする。
ルールを守る方は大変だ。
ルールを覚え、ルールに従って生きないとならない。
破ると罰を受けたり、おかしなことになったりする。
おいらはもっと自由だ。
過去も未来もなく、今、しかない。
因果論も関係ない。
縛られるルールは、人間よりは格段にシンプル。
宇宙自然の法則に従うだけ。
そして、生老病死を嘆いたりしない。
人間は、おいらのようにシンプルに生きたいと思うのだろうか?
便利便利を追求して、地球をまるで自分のものの様に支配して
所有欲を肥大化させて、世界を瞬時につなげるインターネットのようなものまで開発して、でも世界はこんなに混乱して。
ある人はいう。
この世は夢だと。
夢から覚めた時、新しい人生が始まると。
夢から覚めたい人は、どのくらいいるのだろうか?
夢から覚めた人は、どんな人生を歩きたいと思うのだろうか?
それが、長い長いいばらの道のはじまりだとしても、新しい人生を歩きたいと思うものだろうか?
共に歩く人がいてこそ、人生は温かくなる。
たとえ夢から覚めたとしても、そこに孤独しかないとしたら、そのような人生に意味はあるだろうか?
夢の中であっても、共に歩く人がいる人生は、それだけで幸せだと思う。
おいらは幸せである。