われ思うけれどわれなし
こんにちにゃん。
また台風がきているにゃん。
関東は明日の早朝がピークなのかな?
われ思うゆえにわれあり。
と、当たり前の様に書いてきたけれど、
実は、なんともはや、
本当は
われ思う、けれどわれなし。
なんだにゃん。
なぜならば、
自分が思う自分は、じつは、実在していないからなんだにゃん。
実在する、というのは、
だれがどうみても、「この人はこういう人だ」と100パーセント同じ様に、精密に、断言できる場合に「実在する」と言えるんだにゃん。
そんなの、実際不可能だにゃん。
そんでもって、昨今は、量子力学とかが、当たり前になってきているから「存在(物質)は、あったりなかったりする」とか「この世界は仮想現実」とか、
理論上、それが当たり前の流れになってるにゃん。
だから、実際は、
われ思う、けれどわれなし。
なんだにゃん。
じゃあ、今、頭の中に湧いてくるこの考えや感情は
どこから、どうやって生まれるの??
と思うよにゃん。
それはね、
無い所から、有るようになる仕組みがあって
その仕組みによって
今ここの考えや感情が
生まれてるんだにゃん。
なかなか面白い世界だにゃん。
これ興味深いにゃん。
われ思うけどわれなし。
晴れる日もあれば。
秋晴れだにゃん。
久しぶりのお天気のような・・・
お日様がキラキラしてるだけで気分がスッとするにゃ。
晴れる日もあれば、曇る日もある。
人生も同じだにゃ。
今までの人生が、全部無駄だったんじゃないか
そんな風におもう日があるからこそ
今日は人生最高の日だ
と思える日も来るんだにゃ
絶望があるから希望がある。
真っ暗闇があるから、かすかな光も眩しく見える。
どこもかしこも明るかったら、目指す光がどこにあるかも分からないもんにゃ。
最悪の日は、希望の始まり。
われ思うゆえにわれあり。
貴乃花親方。
おはにゃん。
おいらが思うに、
貴乃花親方は、どこかの時点で(たぶん、横綱になる前。もしかしたら宮沢りえと破談になったことがキッカケかな)、
「自分がこうと決めたことは、だれが何と言おうと、絶対に曲げずにやり通す」
ことを絶対的な信念として、生き方の中心に据えたんだにゃ。
だから
親兄弟と不仲になっても
相撲協会とケンカしても
いつも自分の思いを貫きとおしたんだにゃ。
その意志で、相撲界でのトップ=横綱にまでなっちゃったから、
相撲の世界の中では、その信念を変えざるをえないようなことには
残念ながら出会えなかったんだろうにゃ。
その世界での常識は、別の世界では全く通用しないし
そんなにこだわることじゃない
逆に、こだわるからこそ戦争が終わらない。
赤ちゃんのこころに戻って
やわらかく、やわらかく。
なれたらいいのにね。
われ思うゆえにわれあり。
新しい技。
おいらは、朝、4時に起きる。
そして、朝は、餌マシーンではなく、撫でマシーンにご飯を要求する。
これまでは、おいらの頭突きで、撫でマシーンの手をどつくことで
撫でマシーンを起こしていたが
最近、もっと簡単な技を発見したのだ。
それは、尻尾で、撫でマシーンの顔をぺちぺちすること。
これは、即効性がある。
しかも楽。
おいらも、日々、生活に改良を加えているのだ。
われ思うゆえにわれあり。